イチロー 名言集

日本人初のメジャーリーガー外野手で、MLBシーズン最多安打記録保持者(262安打)のイチロー選手の名言集です。

子どもの頃

はじめから、今があったわけではありません。状況は、少しずつ、変えていけるものです。

2006年の年頭のセリフ。「僕だって、子どものころは、少年野球のユニフォームを着て、プロ野球の選手を目指していたんです」

モチベーションが、ほかの選手とは、まったくちがっていたと思います。自分のプレイをスカウトの人に見せなくてはならない。負けるわけにはいかなかった。

2005年のシーズン終了後に、高校時代についてきかれたときのセリフ。「5回戦あたりまでは、いくら打ってもスカウトには評価されませんからね。プロに行くのは、ハンバな気持ちじゃできないんです」 未来をかえる イチロー 262のNextメッセージ p.108出版社:…

みんなは、チカラをあわせて、甲子園に向かっていけるでしょう。でも、僕はひとりでプロという世界に向かわなければならない。

2005年のシーズン終了後に、高校時代についてきかれたときのセリフ。「高校に入る前から、プロになることを第一に考えていました」 未来をかえる イチロー 262のNextメッセージ p.107出版社:ぴあ発売日:2007/12/19 Amazonで見る

理屈じゃないんです。体が感じるまま、求めるままにやる。

2005年、少年時代の野球について聞かれたときのセリフ。「こういう理論だからこういうフォームにしろなんて関係がなかったです。だって、自然のままやっていて、ダントツでうまかったんですから」 未来をかえる イチロー 262のNextメッセージ p.103出版社:…

プロの選手として前に進んでいくために大切なことは、子どものときの、純粋な気持ちが持てるかどうかです。

2005年の年頭、職業意識について話しているときのセリフ。

気持ちも、尊敬している人になりきる。いつも、誰かになりきっていました。

2005年の1月のセリフ。少年時代に野球をしていたときの気持ちについて。「小学校のうちは、自分のかたちなんてありませんからねぇ」

他の人から「これがいい」と、どんなに言われても、少年時代に「これがいい」と思ったものにはかなわない。

2005年の1月、「カレーと味噌汁は、少年時代の記憶に沿うものがいちばんおいしく感じるものだ」と話しているときのセリフ。偏食については「高校時代は、寮生活でしたけど、キライな野菜を皿の下に隠していました。アレは先輩にバレちゃってたいへんなことに…

子どもたちは、そんなに野球がうまくないにもかかわらず、なんで、あんなに楽しそうに野球をしているのでしょう?

2006年の1月、野球についての発言。「心のどこかに、子どもみたいな気持ちがないとダメだというのは、そんなふうに思うからなんです」

はじめは、何かになりきることから。 僕も、いろいろマネしました……。

2005年の1月のセリフ。少年時代にマネした選手を聞いたら、「中日の田尾さん、谷沢さん、ゲーリー、落合さん……ドラゴンズ以外にも、篠塚さん、掛布さん、バースなんかもよくマネしました。いろいろやりましたねえ」とふりかえった。

プロ野球選手になりたかった理由は……かっこよかったから、に決まっています。

2005年の年頭、「夢」について聞かれたときのセリフ。「子どもってそうですよね。ほかに、なりたい理由なんてない。あこがれの選手は、プ ロの「全員」でしたから。中日のユニフォームを着ていた人たちは、僕には、全員が、ヒーローに見えていましたよ」

なんで僕が宿題をやることを大事だと思っているかというと…… 大人になると、かならず上司という人が現れて、 何かをやれと言われるときがくると思うのです。

2003年のシーズン終了後の言葉です。「プロ野球選手という、個人が優先される場所であっても、やれと言われることがものすごくあるわけです。だったら、一般の会社員になって、そんなことは毎日のことのはずです。だから小さい頃に訓練をしておけば、きっと…

キライなことをやれといわれてやれる能力は、後でかならず生きてきます。

2003年のシーズン終了後の言葉です。

僕は、ものすごく小さな家で育っています。いちばん広い部屋が四畳半ぐらいでした。お風呂の湯船にも、僕は小さくなって入らないと入れなかったのです。あの家で育ったことっていうのは、いろいろなことを、思い出させてくれるのです。

2003年のシーズン終了後の言葉です。「当時は、ぼく、いちばんイヤなことでした。ともだちを呼んだことがないですよ、家には」

これ以上やっても抜きんでることはできません。だから勉強を捨てました。

2003年のシーズン終了後の言葉です。「中学生の頃、自分ができる限りの勉強はしました。でも、1番にはなれなかったのです。学年で7番とか8番にはなれても、決して1番にはなれなかった。それで、勉強をあきらめました。野球はみんなが一生懸命やっていて、僕…

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